中谷宇吉郎らによる拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:57 UTC 版)
「天災は忘れた頃にやってくる」の記事における「中谷宇吉郎らによる拡散」の解説
中谷宇吉郎は、寅彦死後の1938年、朝日新聞に「天災」と題する文章を発表した。そしてこの中で、以下のように綴った。 天災は忘れた頃に来る。之は寺田寅彦先生が、防災科学を説く時にいつも使われた言葉である。そして之は名言である。 この中谷の記事が、この言葉が文字として記載された初めての例であると考えられている。ただしこの時点で中谷は、この言葉は寅彦が書いた文章の中にも記載されていると思い込んでいた。 その後、「天災は忘れた頃に来る」という言葉は随所で引用されることとなった。1944年には、朝日新聞が毎日1つの言葉を紙面で取り上げる欄を設け、そして9月1日の言葉に「天災は忘れられた頃に来る」を選んだ。ここで解説を頼まれた中谷は、この言葉の出所を記載しようと寅彦の随筆をあたったが、どの随筆を読んでもこの言葉を見つけることができなかった。仕方が無いので中谷は、「天災と国防」に書かれている同内容の記述を紹介する形で解説した。中谷はこの顛末を、1955年に「天災は忘れた頃来る」と題する随筆にまとめた。同随筆によると、中谷と同じ寅彦門下の坪井忠二も、この言葉は寅彦の随筆の中に書かれていたと思い込んでいたとのことである。 この言葉は、戦前の日本では9月1日に新聞やポスターでよく目にしたとの証言がある。そして遅くとも1950年代には、寅彦の言葉として一般的に知られるようになっていた。中谷も、この言葉は寅彦先生のどの随筆に載っているかといった質問を受けるようになったという。
※この「中谷宇吉郎らによる拡散」の解説は、「天災は忘れた頃にやってくる」の解説の一部です。
「中谷宇吉郎らによる拡散」を含む「天災は忘れた頃にやってくる」の記事については、「天災は忘れた頃にやってくる」の概要を参照ください。
- 中谷宇吉郎らによる拡散のページへのリンク