中華人民共和国におけるTu-4
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 16:46 UTC 版)
「Tu-4 (航空機)」の記事における「中華人民共和国におけるTu-4」の解説
1953年からソ連は中国に10機のTu-4を引き渡し、中国人民解放軍空軍(中国空軍)はこれによって戦略爆撃機を保有する空軍となった。1956年にはそのうちの2機がカム反乱でリタンの寺院に籠城するチベット人住民と僧侶を爆撃する作戦で初めて実戦投入された。 1960年代にはソ連から更に2機が追加供与され、アメリカの無人高速標的機「BQM-34ファイアー・ビー(英語版)」を無人偵察機に改造したドローン「AQM-34N(英語版)」のコピーである「無偵-5(英語版)」の発射母機にもなった。 1970年から1973年にかけて、人民解放軍空軍はTu-4のエンジンをASh-73TK レシプロエンジンからWJ-6 ターボプロップエンジン(4,250 shp)に換装した。 現在では北京にある中国空軍航空博物館に2機のTu-4が展示されている。そのうち1機は早期警戒機仕様のKJ-1で、1988年に退役した機体である。
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