中東と西欧のドーム
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224年にアルダシール1世の建設したアルダシール宮殿の遺跡でわかるように、今日のイランの地にあったサーサーン朝はドームを造っていた。サーサーン朝の建築は、メソポタミアのドーム建築の伝統を受け継いだものと見られる。 西ローマ帝国が滅亡してから44年後の520年、東ゴート王テオドリックは、イタリアのラヴェンナにテオドリック廟に建設した。陵墓は幅10mのドームで覆われているが、煉瓦積みのドームが多かった当時としては珍しく、300トンの石板を丸く削ったものをドームに使っている。 エルサレムの岩のドームは685年から691年に建造された最古のイスラム建築の1つである。聖墳墓教会など近くにあったビザンティン様式の教会を真似たと言われており、ビザンティンの殉教者廟に似ている。そのドームは木製で直径約20mあり、金で覆われている。 神聖ローマ皇帝カール大帝は790年代、アーヘンの宮殿内にパラティン礼拝堂(現在はアーヘン大聖堂の一部)を建造した。この礼拝堂はラヴェンナのビザンティン建築サン・ヴィターレ聖堂に強く影響されている。この八角形ドームは当時、アルプス以北では最大のドームだった。 ヴェネツィアのサン・マルコ寺院は、数百年に渡って改修や増築が続けられた。現在の寺院が建てられたのは1063年で、古いギリシア十字型設計に5つのドーム(十字のそれぞれの腕に1つずつと中心に1つ)を具えている。これらのドームはビザンティン様式で建てられており、コンスタンティノープルにあったという現存しない聖使徒大聖堂 (Church of the Holy Apostles)を模したものとされている。穹隅上のドームの基部には環状に窓が並んでいる。外側の木製で鉛板で覆われたドームは13世紀前半に追加された。
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