中村 (栃木県下都賀郡)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 02:22 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動なかむら 中村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 穂積村、豊田村、中村 → 美田村 |
現在の自治体 | 小山市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 関東地方 |
都道府県 | 栃木県 |
郡 | 下都賀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.11km2. |
総人口 |
4,129人 (1954年4月1日) |
隣接自治体 |
下都賀郡穂積村、豊田村、 瑞穂村、水代村、寒川村 |
中村役場 | |
所在地 | 栃木県下都賀郡中村 |
座標 | 北緯36度18分53秒 東経139度44分31秒 / 北緯36.31481度 東経139.74208度座標: 北緯36度18分53秒 東経139度44分31秒 / 北緯36.31481度 東経139.74208度 |
ウィキプロジェクト |
中村(なかむら)は、栃木県の南部、下都賀郡に属していた村である。
地理
歴史
- 1871年(明治4年)- 当村域は古河藩に属していたが、廃藩置県により古河県から栃木県に移管される。南小林・上泉・下泉・下初田・生駒・大川島は都賀郡第7区に、井岡・小袋・下河原田は寒川郡第1区になる。
- 1878年(明治11年) - 11カ村連合で南小林に戸長役場を置く。
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、下初田村、大川島村、南小林村、上泉村、下泉村、上河原田村、下河原田村、小袋村、井岡村が合併し中村が成立する。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 穂積村,豊田村と合併し、美田村となる。
人口推移
- 1920年(大正9年):3,272人
- 1925年(大正14年):3,348人
- 1930年(昭和5年):3,398人
- 1935年(昭和10年):3,476人
- 1940年(昭和15年):3,493人
- 1947年(昭和22年):4,168人
- 1950年(昭和25年):4,185人
関連項目
「中村 (栃木県下都賀郡)」の例文・使い方・用例・文例
- 中村さんですよね
- 後藤投資株式会社のシステム二課の中村と申します。
- 中村さんは東京ではしご酒をした。
- 中村さんはご在宅ですか。
- 大阪の中村さんから料金受信人払いの電話が入っています。お受けになりますか。
- 会は中村氏の司会で開かれた.
- 中村は反則で退場となった.
- (内線で)中村はただ今会議室におります. そちらへ電話をお回しいたしましょうか.
- 中村何とかといったっけ.
- タイムアップ寸前に中村がワンゴールを決めた.
- 中村字根岸
- 秀吉は尾張中村で産声を揚げた
- (江戸時代)江戸三座という,中村座と市村座と森田座の三劇団
- 中村市という市
- 中田英(ひで)寿(とし)選手,中村俊(しゅん)輔(すけ)選手,小野伸(しん)二(じ)選手,稲本潤(じゅん)一(いち)選手がヨーロッパから戻り,代表チームに加わった。
- 秋(あい)穂(お)巧(たくみ)(中村獅(し)童(どう))は,1年前,妻の澪(みお)(竹内結(ゆう)子(こ))を失った。
- 最も高い技量を持つ最後の挑戦者は日本人格闘家,田中安(あん)野(の)(中村獅(し)童(どう))だ。
- そのリストには,ミッドフィルダーの中田英(ひで)寿(とし)選手,中村俊(しゅん)輔(すけ)選手,小野伸(しん)二(じ)選手らがいる。
- 歌舞伎俳優の中村勘(かん)三(ざぶ)郎(ろう)さんはその団体の発起人の1人だ。
- 開会式の選手宣誓で,三重高校の中村浩(ひろ)樹(き)主将は「全力プレーで日本中を熱くします。」と誓った。
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