中国国外への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 10:24 UTC 版)
唐王朝は則天文字をすぐに撤廃したが、中国国外には広く伝わった。特に河西回廊(現甘粛省)と西域(現新疆、中央アジア)である。中国では15年間しか使われなかったのに対し、これらの地域では200年にわたって使われた。敦煌では中国で失われていた『大雲経』『大雲経疏』といった書物が見つかり、貴重な研究資料になっている。 部分的にではあるが日本や朝鮮半島にも伝わった。例えば江戸時代の大名「德川光國」は1679年頃(本人52歳の時)「德川光圀」に改名した。これは「或」の字が「惑」に通じて不吉だったからとされている。また、本国寺は光圀から一字をもらって本圀寺となっている。 武則天の碑刻は後世に数多く伝わっており、とりわけ彼女の自筆『昇仙太子碑』が有名であり、「千古美文」と呼ばれている。右上の写真はその拓本の断片で、自身の尊号「大周天冊金輪聖神皇帝」の天の字が「」に、聖の字が「」になっている。河南省新安県鉄門鎮にある『千唐志斎碑刻』には、則天文字が数多く書かれている。 後世の南漢創建者である劉巌は武則天を真似て、自分の名を表す文字「龑」(拼音:Yǎn, 注音符号:ㄧㄢˇ)を創作した。この字は「天を飛ぶ龍」を表している。現代中国では簡体字「䶮 ()」として書かれる。 近年では、漢字を使用する各国いずれとも則天文字が日常使用されることはまれである。
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