中国・老子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 10:11 UTC 版)
中国における無は、存在論に立った有に対する無ではなく、存在論のもとにある有無の対立、を超えた絶対無である(前述の哲学の項も参照)。単に非-有(Non-being)の意味に解し、虚無主義と誤解してはならない。 初発の虚無主義は、神の意思を無とする観点だったので、その限りでは虚無主義にある[要出典]。それは日常のなにものでもないから、否定の接頭辞の無で語られる。 通常「無い」というのは、価値の無いことと同義とされるが、中国では、老子の思想に代表されるように、無用の用(例えば、モノを入れるカゴは、中身が無いからモノを入れることが出来る)ということが強調されている。また、宇宙の始元を無極という。井筒俊彦によれば、これは純粋な存在が充実して窮まったところに現われる絶対無であり、絶対無と純粋な存在は実は同一である。無極は別名太極ともいうが、陰と陽とが互いに相手を飲み込もうとする太極図で示される。なお、物理学による解釈では、この無極は、完全な無ではなく、ちょうど物理学でいう「真空のゆらぎ」に相当すると考えられている。
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