中国の核武装開始と日本の核武装構想・アメリカの核の傘獲得
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詳細は「中国の核実験」を参照 しかし、中華人民共和国は1964年(昭和39年)6月29日、東風2号Aの発射試験が成功。続いて7月19日、観測ロケットT-7A (S1)の打ち上げと回収に成功。そして1964年10月16日、初の中国核兵器(コードネーム596)が核爆発に成功し、中国の最初の原爆実験となった(596参照)。同10月27日には、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉より発射され、20キロトンの核弾頭がロプノールの標的上空569mで爆発した。 この中国の核実験の成功を受けて、佐藤栄作は日本の核武装の必要性を認識し、1964年12月29日のライシャワー駐日大使との会談で、日本の核武装論について言及した。翌年の日米首脳会談で、リンドン・ジョンソン大統領は日本の核武装に反対しながらも会談後に発表された日米共同声明では「米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認する」と公約された。こうした佐藤総理の交渉について春名幹男は、日本核武装論でアメリカ側を驚かせ、核の傘を得る戦略で成功した、と指摘している。
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