中国での高句麗についての見方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 07:24 UTC 版)
「高句麗論争」の記事における「中国での高句麗についての見方」の解説
中華人民共和国教育部出版社の高等教育出版社(中国語版)が発行している中国の歴史教科書『世界古代史』は、古朝鮮、高句麗、夫余は朝鮮の歴史ではなく、朝鮮の歴史のはじまりは統一新羅であるとの主旨で記述し、注釈で「高句麗は当時、中国東北部に存在した少数民族政権であった」と記している。中華人民共和国教育部出版社の高等教育出版社(中国語版)が発行している中国の歴史教科書『中国歴史』は、「高句麗は漢代以降、中国の領域であるとみなされた」と記している。中国の大学で使用している福建人民出版社(中国語版)発行の歴史教科書『中国古代史』は、「夫余、高句麗、沃沮、濊貊は、中国・漢代の東北地区の少数民族であり、高句麗の先祖は中国の昔の民族である高夷である」と記述している。 中華人民共和国国営出版社の人民出版社が発行している中国の大学歴史教材『世界通史』は、三国時代から高句麗を除外し、三国時代を「新羅、百済、伽耶」と規定、「武帝は、衛氏朝鮮を滅ぼした後、その領土に郡県制を施行した。辰国が衰弱して分裂後、新羅、百済、伽耶の三国が形成された」と記述、高句麗を「漢の玄菟郡管轄下の中国少数民族であり、紀元前37年の政権樹立後、漢、魏晋南北朝、隋、唐にいたるまで全て中原王朝に隷属した中国少数民族の地方政権」と記述、唐・新羅戦争を「中国の地方政権である高句麗が分裂傾向をみせると、中央政府である唐が単独で懲罰し、直轄領とした」と記述している。
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