中井常蔵「稲むらの火」
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「稲むらの火」の記事における「中井常蔵「稲むらの火」」の解説
広村の隣町である湯浅町出身で、濱口儀兵衛らが創設した耐久中学校の卒業生である中井常蔵(なかい つねぞう、1907年(明治40年)12月12日 - 1994年(平成6年)1月24日)は、和歌山県師範学校在学中、英語テキストで小泉八雲の「A Living God」を読み、感銘を受けた。 1934年(昭和9年)に文部省による国語教科書の教材公募(当時は国定教科書)が行われた。当時は南部町(現在の日高郡みなべ町)の南部小学校で訓導を務めていた中井は、"A Living God " を児童向けに翻訳・再構成し、「燃ゆる稲むら」として応募した。中井の作品では、具体的な年代や場所などの記述が省かれ、普遍的な物語として構成されている。この作品はそのまま国語教材として採用され、1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)まで「稲むらの火」と題されて掲載された。 中井は1945年、終戦を機に日高郡切目小学校長を最後として教職を退き、酒販店の経営にあたるとともに、南部町町会議員などの公職を務めた。1987年(昭和62年)9月には、国土庁から防災功績者表彰を受けている。
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