不安定化とビアフラ独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/29 05:49 UTC 版)
詳細はビアフラ戦争を参照。 1966年カドゥナ・ンゼオグ少佐らによるクーデター未遂事件が起き、ハウサのスルタンの子孫でソコトのサルドゥナの称号を持ち北部州の首相であったアフマドゥ・ベロらが殺害された。クーデターは別のイボのイロンシ少将により収拾された。しかしイロンシが連邦制廃止を決めると北部などではイボの虐殺が起こり、イロンシも殺害された。これにより権力を握ったヤクブ・ゴウォン中佐は連邦制を復活させ、州を細分化した。しかしイボへの虐殺は続き、最大200万人のイボが避難民として東部州へ逃れた。東部州の軍政官となっていたオジュク中佐は石油財源の東部州による管理を主張し、州の細分化に反対した。 1967年5月ゴウォン将軍との交渉が決裂したオジュクはビアフラ共和国の独立を宣言、ゴウォンは内戦へ突入した。ビアフラ側へもいくらかの支援はあったものの国際的な支援は連邦側に偏っていた。1970年オジュクは亡命し、ビアフラは消滅した。
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