上院議員への復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 14:37 UTC 版)
「ジョン・シャーマン (政治家)」の記事における「上院議員への復帰」の解説
1881年、シャーマンはヘイズ大統領の任期満了とともに財務長官を退任し、連邦政府の上院議員に復帰した。シャーマンは第47回、第48回、第49回の連邦議会において上院図書委員会委員長を、第49回、第52回、第54回の連邦議会において上院外交委員会委員長を務めた。第49回連邦議会では上院仮議長も務めた。 シャーマンは1897年まで上院議員を務め、1890年にはシャーマン独占禁止法とシャーマン銀購入法の可決を先導した。またシャーマンは共和党員としてジェイムズ・ブレインらとともに保護関税を支持し、高関税は成長中の合衆国産業のみならず合衆国の労働者の高賃金をも外国の競争から守るものであると主張した。シャーマンは1890年のマッキンリー関税法成立にも手を貸し、50パーセントに達する高率保護関税の方針を貫いた。 独禁法はリンク先の記事へ説明を譲るとして、銀購入法は説明を要する。端的には売りオペを規定した。毎月450万オンスの銀塊を市場価格で買い入れるとき、対価を額面1から1000ドルの財務省紙幣で支払った。この紙幣はブランド・アリソンと同様に法貨であり、しかも国法銀行が保有するとき準備金に算入できた。財務省には過大評価された銀ドルが蓄積した。1893年恐慌で銀が暴落すると、紙幣およびグリーンバックスに対して金での償還要求が続いた。この取り付けで財務省は散々な目にあって、議会は1893年にシャーマン銀購入法を廃止した。財務省はJPモルガンとロックフェラー系の銀行団に為替操作を実行させて金流出を阻止した。また、6200万ドルの国債を売却してヨーロッパ特にドイツから金を輸入して金準備を補強した。
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