上海の日々
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1941年、南京の総司令部より中央の国策に沿う映画を撮るように圧力をかけられた長政は何とかやり過ごす。12月8日、上海の租界全域を日本軍が占領したことでより事態は厳しくなるが、中国人スタッフの多くは長政を信頼し上海映画界に残る。 この後、上海映画界の統合団体の役員に名を連ねるが、1944年には張が憲兵に拘束される。何とか釈放させるが、翌年には張は上海を脱出し重慶へ逃げる。軍の上層部では重慶とのパイプとして張の存在を認めていたが、憲兵にはグレーゾーンとして見られていたため脱出したとされる。敗戦後の長政は家族は先に帰らせると上海での残務整理をしていたが、山口淑子が漢奸とされ処刑されると聞くと、この救出に尽力。1946年、大陸を離れ山口と日本へ戻る。
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