上方4代目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 05:46 UTC 版)
上方4代目 桂文治(生没年不詳)は、本名: 長太?、享年とも不詳。俗に「長太文治」。 上方3代目文治の弟子で、幕末に活躍。1853年の見立番付には、既に桂慶枝の名で東方前頭2枚目に位置しており、後に上方4代目文治を襲名。襲名時期は1855年春頃と推測される。改名順は、桂文枝から桂慶枝になり、文治を継いだと推測される。 元は炭団屋。芸道には熱心だが金銭には無頓着で、能勢の妙見宮に参詣した際、ある豪商に招かれて一席演じたが、謝礼を固辞しようとしたと伝える。実力はあったが、早世したらしい。『新作さわり よしこの咄し』という冊子を残しており、流行唄にも名を成した。 門下には初代桂文枝がいるが、これは師の前名を継いだものとされる。結局、文枝は上方5代目文治を継がず、本名も桂文枝に改名。以降、上方桂一門の止め名は事実上、文枝となる。他にも大成したのでは桂慶治「京の慶治」がいた。
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