三森幹雄とは? わかりやすく解説

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三森幹雄

読み方みもり みきお

俳人福島県出身本名は寛、通称治。号は初め静波、ついで樹下子・笈月山人・春秋庵(11代)など。江戸で志倉西馬俳諧を学ぶ。のち神道大成教属し俳諧による教化運動進めた。「俳諧明倫雑誌」を創刊し俳壇に一勢力をなす。著書に『俳諧名誉談』等。明治43年(1910)歿、82才。

三森幹雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 10:06 UTC 版)

三森幹雄(みもり みきお、文政12年12月16日1830年1月10日) - 明治43年(1910年10月17日)は、江戸末期から明治初期の俳人。11世春秋庵。正岡子規によって攻撃された旧派句会を代表する俳人の一人である。


  1. ^ 三森幹雄氏畧傳」川島正太郎編『現今名家書画鑑』116頁(明治35,真誠堂)
  2. ^ a b 山本三生 編纂『現代日本文学全集 第38篇』452-453頁(昭和4,改造社
  3. ^ 『子規は何を葬ったのか空白の俳句史百年』 今泉恂之介(著)新潮選書


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