三室戸和光とは? わかりやすく解説

三室戸和光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 14:33 UTC 版)

 
三室戸和光
三室戸和光
時代 江戸時代末期 - 大正時代
生誕 天保13年11月9日1842年12月10日
死没 大正11年(1922年)5月22日[1]
官位 従二位子爵
主君 孝明天皇明治天皇
氏族 三室戸家
父母 父:三室戸陳光
兄弟 和光、河辺長量、河辺教長、治光
養兄弟:雄光
正室:武者小路唯子(武者小路公香の長女)
継室:鷲尾房鷲尾隆聚の四女)
鷲尾光遍、土御門晴善
受子(松浦治夫人)ら
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三室戸和光(大正頃)

三室戸 和光(みむろど まさみつ)は、江戸時代末期の公卿明治から大正期の日本華族神職。位階爵位は従二位子爵三室戸家8代当主。伊勢神宮大宮司。「和光」の読みを「かずみつ」と読むのは誤記。

経歴

三室戸家藤原北家真夏日野流柳原庶流とされ、初め北小路を称したが寛文5年(1665年)、願いにより三室戸を家名とした。

天保13年(1842年)、6代当主・三室戸陳光の二男として誕生[1]

継嗣となるはずだった三室戸雄光の長男・治光が平安神宮の宮司となる。各地の石碑に揮毫が残っている。

大正11年(1922年)、薨去。

系譜

脚注

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、699-700頁。
  2. ^ 藤波寛忠コトバンク
  3. ^ 三室戸陳光コトバンク
  4. ^ a b 子爵 三室戸敬光『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929
  5. ^ 三室戸雄光『人事興信録』初版、明治36(1903)年4月
  6. ^ 武者小路公共 『人事興信録』初版、明治36(1903)年4月

参考文献

日本の爵位
先代
三室戸雄光
子爵
三室戸家第2代
1901年 - 1922年
次代
三室戸敬光




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