三五公司の事業<1>‐福建省における樟脳専売事業
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三五公司の事業としてあげられるのは、まず福建省で産出される樟脳の専売事業である。樟脳は当時台湾の特産品であり、総督府の財政の維持に大きな役割を果たしていた。1901年(明治34年)上海在住の林朝棟(台中出身の台湾名望家)が清国の福建省当局から樟脳専売権を獲得しようとした。しかし資金を集めることに困難を来たした林は総督府に資金援助を求めた。当時の台湾総督児玉源太郎は、これを「天与の恵み」と考えた。福建省の樟脳独占専売による利益が得られるのみならず、台湾の樟脳原木資源の温存ができ、それにより樟木生産地である「蛮地」との緊張を緩和することができるからである。のみならず対岸における日本の勢力拡大が期待された。そこで総督府は、林を排して愛久澤直哉を樟脳専売の実行者として任命した。愛久澤は一豪商を装い、廈門にて三五公司の責任者として総督の事業を代行することになった。愛久澤は、まず林に対して設備の弁償金として2万円を支払い、林を福建省樟脳専売事業より切り離し、新設された「官脳局」の技師となった。「官脳局」すなわち実質的には三五公司の樟脳の移出・輸出量は1907年(明治40年)には、約2700斤に上り、1901年の設立時のそれの17倍となった。
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