三つの結末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 04:57 UTC 版)
「神々の黄昏 (楽劇)」の記事における「三つの結末」の解説
『神々の黄昏』第3幕の終結部分、「ブリュンヒルデの自己犠牲」の語りには、現在の形で完成するまでに以下の2種類の歌詞が残されており、ワーグナーがこれらの選択のなかでどれを選ぶか探っていたことを伺わせる。 1852年に書かれた結末で、「喜びにつけ悲しみにつけ、至福をもたらすのは愛のみ」という歌詞で結ばれるもの。研究者によって「フォイエルバッハ的結末」と呼ばれる。 1856年に書かれた「私は世界の終わりを見た」と結ぶ歌詞。より悲観的であり、「ショーペンハウアー的結末」と呼ばれる。 ワーグナーは最終的にはこのいずれも採用せず、歌詞でなく音楽にすべてを委ねた。幕切れの音楽で高く奏される「愛の救済の動機」は、「フォイエルバッハ的結末」を暗示しているとも受け取れるが、言葉を欠いているために自由な解釈の余地を残している。 このことは、音楽によるメッセージは多様な解釈を許容するものの、そのいずれかに一義的に還元されることを拒んでいるといえる。また、神話も多様な解釈を許すが、単一の解釈への還元を拒むのであり、「可能態としてはそのすべてでありながら、実際はそのいずれでもない」というところに『ニーベルングの指環』の神話的形象としての独自性がある。このようにして世界の全体像を描き出したこの作品を、フリードリヒ・ニーチェは「概念形態によらない巨大なシステム」と呼んだ。
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