万物一如・心霊学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 02:48 UTC 版)
「抒情歌 (小説)」の記事における「万物一如・心霊学」の解説
幼少時から霊感の強かった川端は、1919年(大正8年)に知り合った今東光の父親から聞いた神智学に興味を持ち、カミーユ・フラマリオンやオリバー・ロッジなどを愛読した。また新感覚派と呼ばれた頃に創刊した同人誌『文藝時代』では、万物一如・主客合一の思想を掲げていた。 川端は『抒情歌』を発表した2年後に、以下のような文学への抱負を語っている。 私の近年では「抒情歌」を最も愛してゐる。(中略)私は東方の古典、とりわけ仏典を、世界最大の文学と信じてゐる。私は経典を宗教的教訓としてでなく、文学的幻想としても尊んでゐる。「東方の歌」と題する作品の構想を、私は十五年も前から心に抱いてゐて、これを白鳥の歌にしたいと思つてゐる。東方の古典の幻を私流に歌ふのである。書けずに死にゆくかもしれないが、書きたがつてゐたといふことだけは、知つてもらひたいと思ふ。西洋の近代文学の洗礼を受け、自分でも真似ごとを試みたが、根が東洋人である私は、十五年も前から自分の行方を見失つた時はなかつたのである。(中略)西方の偉大なリアリスト達のうちには、難行苦行の果て死に近づいて、やうやく遥かな東方を望み得た者もあつたが、私はをさな心の歌で、それに遊べるかもしれぬ。 — 川端康成「文学的自叙伝」
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