万寿森古墳の規模と築造年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 16:13 UTC 版)
「万寿森古墳」の記事における「万寿森古墳の規模と築造年代」の解説
万寿森古墳の規模は東西31メートル、南北38メートル、高さ5メートル。主体部の保存状態は良好であるが、後述の通り江戸時代から石室を利用された痕跡が見られる。主体部は南に開口する両袖形の横穴式石室で、安山岩の自然石による乱石積み(小口積み・横口積み)。石室の部材は50センチから80センチの比較的小型の石材が使われている点が指摘される。 石室の全長は14.2メートル、玄室長7.9メートル、羨道長5.3メートル。主軸は南北。石室幅は奥壁付近で2.44メートル、玄室部の袖側で1.61メートル、羨道入口で1.55メートル。高さは後述の通り床面が後代にコンクリート舗装されているため正確には不明であるが、最大で3.3メートルを測っており、数10センチの幅が想定されている。 副葬品や埴輪・葺石・周溝など外部施設は知られておらず、正確な築造年代も不明。近在の甲府市千塚の加牟那塚古墳や、笛吹市御坂町の姥塚古墳では大型石材が用いられているため、万寿森古墳はこれに先行する築造であるとも考えられている。 江戸後期の『甲斐国志』によれば万寿森古墳は古くから存在を知られており、江戸時代には石室を煙硝の保管庫として利用し「煙硝蔵」と称されていた。近代にもホテルの倉庫として利用されており、開口部には扉が取り付けられ、床面にはコンクリートが敷かれている。
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