七月の青嶺まぢかく熔鑛炉
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
夏 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
この句は、昭和2年、山口誓子が九州へ出張した時の作で、『山口誓子自選自解句集』に次のように書いている。 <熔鑛鑪は、製鉄所の心臓部だった、私は熔鑛鑪の見学を希望した。 鉄の鉱石を溶かしている炉は、鉄扉を開けると、真紅の火が流出した。 ひどい熱気だった、そんな熔鑛鑪を見て外に出た私は、製鉄所の直ぐ南に聳える青嶺を見た。 熱気から脱け出た私は、その青嶺がじつに美しいと思った。 その青嶺は夏の盛りの青嶺であったから、私はそれを「七月の青嶺」と表現せずにはいられなかった、「七月」は伊達ではない、六月でもない、八月でもない「七月」である。> 又誓子は、俳誌「自鳴鐘」にも、真赤な熔鑛鑪の火の熱さと、外のすぐ眼の前の真っ青な山、その内と外との間の非常に激しい変化・対立が私に感動を与えた、と書いている。 この句は、誓子の静と動を表した句と思う。 七月の青嶺まぢかく熔鑛鑪 山口誓子 雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり 横山白虹 昭和48年7月29日、青嶺の皿倉山と東田第一号熔鑛鑪の見える北九州市高炉台公園に、上記の二句が刻まれた壮大な句碑が建立された。 当日は、誓子・波津女・實花の諸先生を始め、「天狼」関係の方々、北九州市長及び、地元の有志、白虹・房子両先生と「自鳴鐘」の人々と大勢の出席であった。 この日誓子は、謝辞に「ひとつひとつ物は感覚でとらえて、それを知覚で結合してゆく、これが俳句です」と結んだ。 誓子・白虹亡き後もこの「友情句碑」は、青嶺と熔鑛鑪を見ながら悠然と立っている。 出典:『現代俳句の世界<4>山口誓子集』(朝日文庫)「凍港」より 『季題別山口誓子全句集』本阿弥書店 |
評 者 |
|
備 考 |
- 七月の青嶺まぢかく熔鑛炉のページへのリンク