一領具足の記述について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 04:39 UTC 版)
『土佐物語』より信頼性が高い軍記物の『長元記』にも「一領(両)具足」の記述は見られるが、「土佐の一領具足と申は、他家の馬廻と同事也」とあり、『土佐物語』のように一領具足を土佐独自の存在としては扱っていない。そのため、『土佐物語』が説明するように「一領しか鎧を有さないため」に「一領具足」といわれたか、由来の信頼性が確かでない。また、こうした二次資料(後世の軍記物)では「一領具足」の表記は見られるものの、『長宗我部氏掟書』(分国法)には見られず、資料が少なく、一領具足を記した一次資料として、「慶長5年(1600年)12月3日付 宇賀二兵衛宛 長宗我部氏重臣連署状写」(浦戸一揆に関するもの)があるぐらいで、一領具足が認識されていたことはわかるが、一領具足の由来が本当に「一領しか鎧がないため」だったかの証明には至らない。 平井上総は近世に土佐藩(山内氏)が郷士を登用するにあたって、条件として、武士の家系でならなければならないと定めたことから、長宗我部氏の遺臣達は郷士になるために、先祖の名声を強調しようとしたと想定し、『土佐物語』の一領具足の説明は、郷士達の願望や要望が反映された可能性が捨てきれないとする。そして他資料比較から、「鎧一領しか持たない武士」ではなく、「鎧一領分の軍役を負担する武士」としてついた呼称と見るべきものとしている。
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