一族抗争の中で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 03:33 UTC 版)
異母弟の趙王司馬倫が恵帝を輔政するようになると、司馬榦を衛将軍に任命した。301年、恵帝に迫って帝位に登った司馬倫に諸王が反発し、斉王司馬冏が司馬倫を打ち破ると、宗族や朝臣はみな牛と酒を持ち寄って司馬冏をねぎらったが、司馬榦だけは百銭を懐に帯び、司馬冏に会うと百銭を出して言った。 「趙王が反乱した時、あなたが天下のために挙兵したのはあなたの功績である。いま百銭であなたを祝おう。しかしながら、事態は依然として決着したわけではないから、慎まなければならない。」 司馬倫が敗死して恵帝が復位すると、司馬榦は再び侍中になり、太保を加えられた。司馬冏が輔政すると、司馬榦は司馬冏を訪ね、司馬冏は出迎えた。司馬榦は司馬冏の邸に入ると寝台に胡坐をかき、司馬冏を座らせないで言った。 「あなたは白女の子を真似してはいけない。」 白女は白に木偏を加えると柏、つまり父の司馬懿の側室の柏夫人を示し、白女の子は司馬倫を指していたのである。 302年、司馬冏が司馬倫誅殺を共に謀った常山王司馬乂・成都王司馬穎・河間王司馬顒に誅殺されるに及んで、司馬榦は慟哭して側近に言った。 「宗室は日に衰退していて、この子(司馬冏)がもっとも良かったのに、殺されたとなると、今後の行く末は危うい!」 その司馬榦の予想通り、司馬冏亡き後の主導権を巡り、今度は司馬乂が司馬穎・司馬顒の間に対立が生じ、304年に司馬乂は司馬穎・司馬顒らによって炙り殺される。更に、その司馬穎と司馬顒は司馬乂討伐に呼応した東海王司馬越の手によって306年に殺されるなど、一族同士の骨肉の争い(八王の乱)が続き、晋王朝は弱体化する。
※この「一族抗争の中で」の解説は、「司馬榦」の解説の一部です。
「一族抗争の中で」を含む「司馬榦」の記事については、「司馬榦」の概要を参照ください。
- 一族抗争の中でのページへのリンク