ヴォルフガング・フォルトナーとは? わかりやすく解説

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ヴォルフガング・フォルトナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:14 UTC 版)

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ヴォルフガング・フォルトナー
生誕 (1907-10-12) 1907年10月12日
出身地 ドイツライプツィヒ
死没 (1987-09-05) 1987年9月5日(79歳没)
学歴 ライプツィヒ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

ヴォルフガング・フォルトナー(Wolfgang Fortner、1907年10月12日 - 1987年9月5日)は、ドイツ現代音楽作曲家[1][2]

経歴

ライプツィヒ出身。両親が歌手であったため、幼いころより音楽に親しむ。1927年ライプツィヒ音楽院に入学し、オルガン作曲を学んだ。同時にライプツィヒ大学に入学し、哲学音楽史ドイツ学を学んだ。音楽院在学中から作品が公の場で演奏されており、ベルリンアルノルト・シェーンベルクの知遇を得、パウル・ヒンデミット室内音楽の分析で博士号を取得した。

1931年に卒業したのち、ハイデルベルク教会音楽大学で音楽理論の講師となるが、「文化ボルシェヴィズム」との攻撃を受けた。1935年から1936年にかけてハイデルベルク室内管弦楽団を創設して新しい音楽を取り上げ、スカンジナビア半島オランダギリシャに演奏旅行を行った。同時にハイデルベルクヒトラーユーゲントオーケストラ指揮者となった。1940年に衛生兵として徴兵された。1941年ナチスに入党し、「ハイデルベルクの兵士の歌」を出版した。

戦後は、1948年からダルムシュタット夏季現代音楽講習会で講師を務め、1957年から1973年までフライブルク音楽大学の教授を務めた。

教え子にハンス・ヴェルナー・ヘンツェヴォルフガング・リームハンス・ツェンダーベルント・アロイス・ツィンマーマンロベルト・HP・プラッツヴェルナー・ヤコブなどがいる。

作品

歌劇

  • 血の婚礼

管弦楽

  • オルガン協奏曲
  • ヴィオラ協奏曲
  • 弦楽オーケストラのため協奏曲
  • 協奏交響曲
  • ピアノ協奏曲
  • ヴァイオリン協奏曲
  • 交響曲
  • チェロ協奏曲

室内楽

  • 弦楽四重奏曲第1番
  • 弦楽四重奏曲第2番
  • 弦楽四重奏曲第3番
  • 弦楽四重奏曲第4番
  • ヴァイオリンとピアノためのソナタ
  • フルートとピアノのためのソナタ
  • ピアノ三重奏曲

脚注

  1. ^ Wolfgang Fortner (Composer)”. 2018年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月2日閲覧。
  2. ^ ヴォルフガング・フォルトナー - Discogs




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