ヴィリアトゥス暗殺
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「クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前140年の執政官)」の記事における「ヴィリアトゥス暗殺」の解説
紀元前139年、ヴィリアトゥスはヒスパニア・キテリオルからも攻撃を受け、当地を管轄していた執政官マルクス・ポピッリウス・ラエナスに講和を求めようとした。しかし、ラエナスの出した条件は極めて過酷であった。このため、ルシタニア人の指導者達は、おそらく長い戦争に疲弊していたためと思われるが、カエピオに対して講和のための使節を送った。選ばれたのは、ヴィリアトゥスの友人であるアウダックス、ディタルコ、ミウルスの3人であった。結果、使節とカエピオはヴィリアトゥスを暗殺することに合意した。ただし、この件をどちらが持ちかけたかは不明である。カエピオは、この裏切り者達に安全だけでなく金銭も約束した。 結果、ヴィリアトゥスは暗殺された。アウダックスとその仲間は、急ぎの用事があるとして夜中にヴィリアトゥスのテントに入った。このときヴィリアトゥスは甲冑を着用していたため、喉を突き刺して殺害した。(首を締めて殺されたとする資料もあるが、これは明らかに間違いである) アウダックス達はカエピオの元に逃げ、約束の金銭の残りを要求した。しかしカエピオはこれを拒否し、安全だけは保証してローマに送り、そこで交渉するように言った。後の資料では、カエピオは暗殺のことは知らなかったとし、ローマはこのような約束はしないとするものもあるが、歴史学者はこれを「恥ずべきできごと対する歪められた認識」であるという考えている。しかしながら、少なくとも元老院に対してはその動機の真偽を問う声もある。 ヴィリアトゥスの後継者タンタゥスは攻勢に転じ、カルタゴ・ノヴァを攻撃したが、カエピオに撃退され、降伏を余儀なくされた。カエピオはルシタニア人を武装解除したが、十分な土地を与え、彼らが貧しさから強盗に追い込まれないようにした。こうしてヒスパニア・ウルテリオルでの戦争は終わった。しかし、この勝利はヴィリアトゥスの暗殺が成功したためで、誰が見ても価値がないものであった。カエピオは「勝利を手に入れたのではなく、買ったのだ」。結局、アウダックス達に残りの金銭は支払われなかったが、これが「ローマ人が行った唯一の勇気ある行動」であった。
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