ワールドシリーズの復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 14:35 UTC 版)
「1905年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ワールドシリーズの復活」の解説
1903年に野球界の秩序を守るための機関としてアメリカン・リーグとナショナル・リーグの会長と委員長とで構成されるナショナル・コミッション(全国委員会)が設置された。1905年にこの全国委員会にニューヨーク・ジャイアンツのオーナーであるジョン・T・ブラッシュから両リーグのチャンピオンチーム同士によるシリーズの開催規約が提案された。前年のボストン・アメリカンズとのワールドシリーズを拒否したブラッシュであったが、その直後からファンや新聞の批判、そして自分のチームの選手からも抗議を受けて考え方を変えて、自ら新しいワールドシリーズの要綱を考えて、コミッションによる管轄、収入の分配方法、選手の出場選手の資格など、その規定の基本的な部分の多くは現在まで受け継がれているものであった。今日「ブラッシュ・ルール」と呼ばれるこの規約案は全国委員会で決定し、「世界選手権シリーズ」が正式に発足した。ジョン・マグローと懇意であった巨人軍の創立者でもあり後にセントラル・リーグ会長となった鈴木惣太郎はその著書「アメリカ野球史話」の中で、この「ブラッシュ・ルール」に基づく1905年のワールドシリーズの開催を第1回とするのが正しい、と主張している。 そのワールドシリーズでは、ジャイアンツのクリスティ・マシューソンが3試合に登板して3試合とも完封という離れ業をやってのけて、ワールドシリーズで同じ年に3完封を記録したのはマシューソンが唯一である。そして同じジャイアンツのジョー・マクギニティも完封で1勝し、対するアスレチックスのチーフ・ベンダーも完封で1勝して、全5試合とも完封試合であり、投手力が威力を発揮したシリーズとして語り継がれている。
※この「ワールドシリーズの復活」の解説は、「1905年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「ワールドシリーズの復活」を含む「1905年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1905年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- ワールドシリーズの復活のページへのリンク