ロー判決までの判例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/07 11:25 UTC 版)
「ロー対ウェイド事件」の記事における「ロー判決までの判例」の解説
アメリカ合衆国では、建国以来19世紀に入るまでは胎動感前の妊娠中絶については罰せられなかった。1820年代以後、主に女性の健康への配慮から人工妊娠中絶を規制する州が現れ、19世紀後半に入るとこの動きは加速した。1950年代までにはほとんどの州で女性の生命への危険を例外として中絶が禁止された。一方、1960年代に入ると中絶の条件緩和の動きが見られ、1970年までに4つの州で中絶が合法化されていた。 一方、1960年代以降、判例上プライバシー権が合衆国憲法上の権利として認められてきた。1965年のグリズウォルド対コネチカット州事件判決で最高裁は、婚姻関係にあるカップルによる避妊具の利用を禁じたコネチカット州法について、プライバシーの権利の侵害であるとして違憲判決を下した。グリズウォルド判決の多数意見は、プライバシーの権利は憲法上明文規定はないものの、合衆国憲法の様々な人権規定の「半影」(英: penumbra)として認められると判示した。1972年のアイゼンスタット対ベアード事件判決では、未婚カップルによる避妊具の所持もプライバシーの権利の一部として認められるとし、避妊具の購入を既婚者に限定したマサチューセッツ法が違憲とされた。しかし、ロー判決前に女性の妊娠中絶の権利について判断した判例はなかった。
※この「ロー判決までの判例」の解説は、「ロー対ウェイド事件」の解説の一部です。
「ロー判決までの判例」を含む「ロー対ウェイド事件」の記事については、「ロー対ウェイド事件」の概要を参照ください。
- ロー判決までの判例のページへのリンク