ロータス / ティレル / アロウズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 01:57 UTC 版)
「ミカ・サロ」の記事における「ロータス / ティレル / アロウズ」の解説
1994年シーズンの終盤戦に、財政難に陥ったロータス・無限ホンダは、ヨーロッパGPを前にジョニー・ハーバートの契約をリジェチームへ売却して移籍させ、交換の形でエリック・ベルナールを加入させた。ベルナールは1戦のみの契約で、翌戦の日本GPでF1デビューを果たしたのが、全日本F3000で鈴鹿を知り尽くしていたミカ・サロであった。偶然ではあるが、ハッキネンとはF1デビューのチームが共にロータスでカーナンバー「11」であることまで共通していた。 1995年、母国の通信会社ノキアをスポンサーとして、前年大活躍を見せたティレルへ移籍。しかし、1995年以降もマシンの戦闘力は悪くなかったものの、ティレルのチーム成績は年々下降を続け、1997年までの3年間をレース中団で過ごすことになる。レギュラー初年度の1995年は入賞3回を記録。1996年も入賞3回を記録し、そのシーズンのチームメイト片山右京を超える成績を残す。そして、1997年モナコGPでは雨の中タイヤ無交換作戦が成功し5位入賞。この年唯一かつティレルチームとして最後の入賞となった。 1998年、デイモン・ヒルに替わってアロウズへ移籍。しかし、チームに前年健闘したような戦闘力は無かったうえ、マシンの信頼性も前年より悪化。完走すらままならない状況であった。モナコで4位に入りペドロ・ディニスとダブル入賞を果たしたが、入賞はそれだけであった。予選およびランキングではチームメイトを上回ったが、特筆するような成績を残すことができずシーズンが終了。翌シーズンもアロウズ残留の予定だったが、1999年のプレシーズンテストに合流した高木虎之介とのシート争奪戦に敗れ、開幕戦直前にチームから放出。そのまま、浪人生活を迎えるかと思われた。
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