ローカル文化運動の時代
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1937年(昭和12年)、映画監督を廃業、生家に戻り、実弟から一部譲り受けた鉄工所を経営する。1942年(昭和17年)、「北九州文化連盟」幹事長となり当時同会の会長だった13歳下の芥川賞作家火野葦平を支える。この年、小説『日本剣客伝』を福岡日日新聞(現在の西日本新聞)に連載する。1945年(昭和20年)、第二次世界大戦終戦直前の7月、51歳で、火野のいた西部軍報道部に徴用され、経営していた工場は企業整備により閉鎖となる。 戦後1946年(昭和21年)、「九州書店」を設立、代表取締役になる。同年6月『九州の百姓一揆』を刊行する。1948年(昭和23年)に同社が解散、以降は著述業となる。1959年(昭和34年)脳溢血で倒れる。 1961年(昭和39年)4月10日、福岡県八幡市(現在の同県北九州市八幡西区)で死去。満67歳没。
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