ローウェル・ジョージ時代(1969年 - 1979年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 14:54 UTC 版)
「リトル・フィート」の記事における「ローウェル・ジョージ時代(1969年 - 1979年)」の解説
1969年、フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションのメンバーだったローウェル・ジョージ (スライド・ギター、ヴォーカル)、ロイ・エストラーダ (ベース)を中心にロサンゼルスで結成。2枚のアルバムを発表したが、商業的成功には結びつかず、キャプテン・ビーフハートのサポートに専念するためにエストラーダが脱退し、解散寸前の危機的状況に陥る。 エストラーダの後任としてケニー・グラッドニーが加入し、新たにポール・バレア (ギター、ヴォーカル)、サム・クレイトン (パーカッション)をメンバーに迎え、ようやく持ち直す。新たなラインナップで、1973年にアルバム『ディキシー・チキン』を発表。タイトル曲に見られるようにニューオーリンズ、南部色を感じさせる音楽性は、過去2作から一歩踏み出した感のあるものであった。続く、1974年の『アメイジング!』(原題:Feats Don't Fail Me Now)では、ポール・バレアの歌う"Skin It Back"など、よりファンキーな路線を推し進めており、バンドはこのアルバムで初めてBillboard 200入りを果たした。 1975年 の『The Last Record Album』、1977年 の『Time Loves a Hero』では、ジャズ、フュージョン的な色彩も織り込んだ。これらのアルバムでは、ポール・バレア、ビル・ペインの役割が大きくなる一方で、ローウェル・ジョージは他のメンバーと音楽性の相違が大きくなり、また麻薬中毒で体調を崩しつつあったことから、その存在感が薄れて行った。1978年にはローウェル・ジョージ在籍時唯一の来日公演を行っている。 バンドの方向性に違和感を覚えたジョージは、1979年、ソロ・アルバム『Thanks I'll Eat It Here』をリリースし、リトル・フィートの解散を宣言した。しかし、その直後心臓発作で死亡。残されたメンバーは、ジョージが録りためていた未完成のレコーディングに追加のレコーディングを行い、アルバム『Down on the Farm』としてリリースした。そして、リトル・フィートの活動に終止符を打ったのだった。
※この「ローウェル・ジョージ時代(1969年 - 1979年)」の解説は、「リトル・フィート」の解説の一部です。
「ローウェル・ジョージ時代(1969年 - 1979年)」を含む「リトル・フィート」の記事については、「リトル・フィート」の概要を参照ください。
- ローウェルジョージ時代のページへのリンク