ロベール=フランソワ・ダミアンの例
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「八つ裂きの刑」の記事における「ロベール=フランソワ・ダミアンの例」の解説
ロベール=フランソワ・ダミアンは、ルイ15世の殺害を図って捕らえられ、1757年3月27日に八つ裂き刑に処せられた。この時の様子は、死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンが詳細な手記を残しているため詳しく分かっている。 病気の父の代理として当時18歳だったシャルル=アンリ・サンソンが死刑執行人として臨んだ。実際に処刑を取り仕切ったのは叔父のニコラ=シャルル・ガブリエル・サンソンだった。 パリで八つ裂きの刑が行われるのは147年ぶりということで、誰もその実際の手順がどうなのかが分からなかった。そこで判決を聞いた2人のサンソンは必死で公文書や歴史資料を読みあさり、八つ裂きの刑の執行手順や必要な用具を調べ上げた。 八つ裂きの刑はあらゆる刑罰の中でも必要な用具と人員が最も多い刑罰なため、サンソンたちは準備に奔走した。国王の弑逆未遂という大逆罪を犯した犯人の処刑である。万一当日になっても用具が揃わず刑の執行ができないようなことにでもなれば、一転してその執行人の責任が厳しく追及されかねない状況にあった。 ダミアンはまず寺院の前に連行され、そこで罪を告白する公然告白が行われた。この後グレーブ広場に連行され、処刑台の上に上げられると、まず国王を刺した右腕を罰するために右腕を焼いた。次にペンチで体の肉を引きちぎり、傷口に沸騰した油や溶けた鉛を注ぎ込んだ。次に、地面に固定されたX字型の木に磔にされ、両手両足に縄を結ぶと、それらのもう一方の先を4頭の馬に繋いだ。これを号令とともに馬たちが一気に4方向に駆け出すことでダミアンの体から四肢を引き裂こうとしたのだが、そう簡単には行かなかった。この手順を1時間に3度も繰り返したが、ダミアンの体はびくともしない。そこでサンソンは判事の許可を得て、四肢の付け根に切り込みを入れた。すると次の回ではまず最初に片脚がもぎ取られ、次にもう片方の脚ももぎ取られ、続いて右腕が引き裂かれた。ダミアンはこの時点で絶命していた。バラバラになったダミアンの遺体はその場で火葬に付された(西欧では通常死者は土葬される)。 ガブリエル・サンソンはこの仕事のあまりの衝撃に耐えられず、息子のジャン=ルイに職を譲って引退した。
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