ロッテコーチ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 08:05 UTC 版)
現役の投手として最後に所属した千葉ロッテマリーンズが、日本ハムを再び退団したばかりの吉井に対して、コーチへの就任を打診。2018年11月1日に、2019年より、一軍投手コーチとして12年振りにロッテに復帰することが発表された。現役時代に所属したチームのコーチに就任することは初めてで、背番号も初めて71を着用した。 コーチへの就任後は、投手陣に対する登板の管理を徹底させたことによって、救援投手の負担を軽減。実際に3試合以上の連投を減らしたこともあって、2020年・2021年にはチームの救援防御率がリーグ2位に達したほか、チームとしては36年振りの2年連続2位以上の達成に貢献した。 また、佐々木朗希(筑波大学OBの國保陽平が岩手県立大船渡高等学校で指導した右投手)が同校から入団した2020年には、佐々木に対して「一軍どころか二軍(イースタン・リーグ)の公式戦にも一切登板させない代わりに、春季キャンプからレギュラーシーズンの終盤まで一軍に帯同させながらトレーニングを積ませる」という異例の育成方針を講じた。佐々木が投じるストレートの球速は高校時代に163km/h(高校野球の公式戦における最速記録)に達していたが、吉井は國保と同様に、「160km/h以上の剛速球を投げられるだけの技術を佐々木が持っていても、その負荷に耐えうるだけの身体が備わっていなければ必ず故障につながる」と判断。一軍監督で内野手出身の井口資仁から佐々木の育成を一任されていたこともあって、一軍の先発ローテーションを担う投手の調整法を間近で見られる環境に佐々木を置きながら、身体に負担の掛かりにくい投球フォームを固めることに相当の時間を割いた。佐々木は、この方針の下で2021年に一軍の公式戦で3勝を挙げると、2022年4月10日の対オリックス戦(QVCマリンスタジアム)でNPB公式戦28年振り(令和時代初)の完全試合を歴代最年少の20歳5ヶ月で達成している。
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