レッドソックスとヤンキース
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「1918年のメジャーリーグベースボール」の記事における「レッドソックスとヤンキース」の解説
ボストン・レッドソックスはこの年に新しい監督エド・バローを迎えて通算5度目のシリーズ制覇であった。しかし1920年に当時のレッドソックスのオーナーだったハリー・フレイジーは、財政難からチームの看板選手だったベーブ・ルースをヤンキースに放出、バローも1920年限りで監督をやめ、ヤンキースのゼネラルマネージャーをつとめることになる。そして1903年から1918年までの15年間で5回シリーズ制覇したレッドソクッスの6度目のシリーズ制覇はそれから86年後の2004年になった。 その間にニューヨーク・ヤンキースは1923年から通算27回のシリーズ制覇を成し遂げることになるが、この1918年時点ではシリーズどころかリーグ優勝も無い弱小球団であった。第一次大戦が終結したこの年でボストン・レッドソックスはアメリカンリーグ最多の6回リーグ優勝し、ナショナルリーグではシカゴ・カブスが最多の11回、ニューヨーク・ジャイアンツが8回リーグ優勝していた。やがて32年後の1950年にヤンキースはカブスの優勝回数(1950年時点で16回)を超えて17回のリーグ優勝からさらに20世紀後半に優勝回数を伸ばしていく。 そのニューヨーク・ヤンキースは、1913年にハイランダースからヤンキースに名称を変え、この1918年に新監督を迎えてリーグ4位であった。1915年にオーナーとなったジェイコブ・ルパートが1913年からカージナルスの選手兼監督を務めていたミラー・ハギンスを招いての最初のシーズンであった。この年は4位、翌1919年は3位、1920年も3位とそれまでBクラスであったチームは確実に上昇機運であった。そしてレッドソックス監督であったエド・バローをゼネラルマネージャーに就任させてからヤンキースの黄金時代が始まった。ミラー・ハギンスも1929年のシーズン途中で急逝するまでにリーグ優勝6回、シリーズ制覇3回の実績を残した。
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