レコードタイでの共同通信杯優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:52 UTC 版)
「メジロブライト」の記事における「レコードタイでの共同通信杯優勝」の解説
前年末の勝利によりクラシック戦線の中心に躍り出て、この年の目標は当然クラシックだった。しかし浅見国一は、その直前の2月末が定年であり、共に挑むのは不可能だった。そこで国一は、本来休養させるべきメジロブライトに無理を強いて、定年直前の適鞍である共同通信杯4歳ステークス(GIII)に参戦させる。東京競馬場への遠征は、レース当日に行っていた。国一は、メジロマックイーンが1位入線18着降着となった1991年天皇賞(秋)以来東京競馬場を拒み続けていたメジロの総帥北野ミヤを競馬場に誘い、観戦させている。若駒ステークス優勝馬エリモダンディー、札幌3歳ステークス優勝馬セイリューオーが立ちはだかる13頭立てだったが、メジロブライトは、単勝オッズは1.6倍の1番人気に推されていた。大外枠からスタート、いつも通り最後方を追走する。大外に持ち出してから直線でスパートし、すべて差し切った。セイリューオーなどに4分の3馬身差をつけて重賞連勝を果たす。走破タイム1分47秒5は、1994年の優勝馬、後にクラシック三冠馬となるナリタブライアンに並び立つ、レースレコードタイだった。国一は「直線の"伸び脚"が1頭違っていた(中略)今日の走りからは東京コースはあっていそうなので、ダービーではファンの人と一緒に応援しようと思っています」と述べている。 2月末、国一の定年に伴って厩舎が解散。メジロブライトは、国一の息子で調教師の浅見秀一に転厩する。ただし、国一厩舎で担当調教助手をしていた山吉一弘も同様に秀一厩舎に移籍してコンビ継続、国一厩舎の馬房が空きその馬房を秀一厩舎が吸収したため、メジロブライトの入る馬房も継続となり、調教師以外の変化はなかった。それに加えて国一は、調教師を引退したものの、メジロブライトへの関与を継続していく。
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