ルートヴィヒ3世 (東フランク王)とは? わかりやすく解説

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ルートヴィヒ3世 (東フランク王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 10:09 UTC 版)

ルートヴィヒ3世
Ludwig III.
東フランク国王
在位 876年 - 882年(ザクセン)
880年 - 882年(バイエルン)

出生 835年
死去 882年1月20日
東フランク王国フランクフルト
埋葬 東フランク王国ロルシュ修道院
配偶者 リウトガルト・フォン・ザクセン
子女 一覧参照
家名 カロリング家
王朝 カロリング朝
父親 ルートヴィヒ2世
母親 ヘンマ・フォン・シュッセンガウ
宗教 キリスト教カトリック教会
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ルートヴィヒ3世:Ludwig III., 835年 - 882年1月20日)は兄弟と共同統治したカロリング朝第2代東フランク国王で初めはザクセン(在位:876年 - 882年)、のちバイエルンも受け持った(在位:880年 - 882年)。ルートヴィヒ2世(ドイツ人王)とシュッセンガウ伯ヴェルフの娘エンマ古ヴェルフ家)の次男。若王(der Jüngere)といわれる。

生涯

876年8月に父ルートヴィヒ2世が死去、兄カールマンおよび弟カール3世とともに父の遺領を分割し、ルートヴィヒはフランケンチューリンゲンザクセンを継承した[1]。同年9月西フランク国王シャルル2世は帝国の統一をもくろみ、アーヘンを急襲、ケルンを拠点にルートヴィヒの領地へと兵を進めたが[1]、三兄弟はルートヴィヒを中心として連合軍を組織し、10月8日、アンデルナハの戦いでシャルル軍を破った[2]。また879年の西フランク国王ルイ2世の死後起こった継承争いに介入し、880年リブモント条約によって西ロレーヌの獲得に成功した[3]。さらに、880年に兄カールマンが嫡出子なく死去したためバイエルンをも獲得し[4]、広大な王国を形成した。しかし、879年頃よりノルマン人の侵略を受け、880年エノーのティメオン近郊では勝利をおさめたものの、当時ルートヴィヒは病床にあり、コブレンツトリーアなどが略奪を受け、ノルマン人との戦いにおいて義兄弟ザクセン公ブルン他多くの家臣らが戦死した[5]

882年、ルートヴィヒは男子後継者なく死去、東フランク王国は弟カール3世により再び統一された。

子女

ザクセン公リウドルフの娘リウトガルトと結婚したが、嫡出の男子は早世した。

  • ルイ(876年 - 879年) - フランクフルト王宮の窓から落ちて死去
  • ヒルデガルト(875/81年 - 900年以降) - フラウエンキームゼー修道院の修道女
  • ベルンハルト

以下の庶子がいる。

  • フーゴー(850年頃 - 880年)
  • アダルハルト

脚注

  1. ^ a b 成瀬他、p.91
  2. ^ 瀬原、p.52-53
  3. ^ 瀬原、p.54
  4. ^ Reuter, p.336
  5. ^ 成瀬他、p.97

参考文献

  • 成瀬治 他 編 『世界歴史大系 ドイツ史 1』 山川出版社、1997年
  • 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
  • Reuter, Timothy. Germany in the Early Middle Ages 800-1056. New York: Longman, 1991.
先代
ルートヴィヒ2世
東フランク国王
ザクセン
876年 - 882年
次代
カール3世
先代
カールマン2世
東フランク国王
バイエルン
880年 - 882年
次代
カール3世



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