リドルフィ陰謀事件の摘発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 16:53 UTC 版)
「ウィリアム・セシル (初代バーリー男爵)」の記事における「リドルフィ陰謀事件の摘発」の解説
1570年2月に教皇ピウス5世がエリザベスを破門したため、以降イエズス会士などカトリック宣教師がイングランドに潜入してきて反エリザベス謀議を行うようになった。 セシルはすでにフランシス・ウォルシンガムのもとに秘密警察的な情報組織を完成させており、女王暗殺謀議は即時に取り締まった。1571年にはリドルフィ陰謀事件(英語版)を摘発した。これは教皇に忠実なフィレンツェの銀行家ロベルト・ディ・リドルフィ(英語版)が中心になって立案した計画で、ネーデルラントのスペイン軍をイングランド南岸に上陸させ、それに乗じてノーフォーク公とメアリーが反乱を起こし、2人がイングランドとスコットランドの王位についてカトリック信仰を復活させるという計画だった。セシルとウォルシンガムは、陰謀の中心人物としてノーフォーク公を逮捕させ、裁判にかけて死刑に処し(リドルフィにはイングランド外に逃げられた)、駐英スペイン大使にもイングランド退去を命じた。
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