(3)リスクが問題とされるようになった時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 03:14 UTC 版)
「放射線障害」の記事における「(3)リスクが問題とされるようになった時期」の解説
放射線被曝によって確定的影響のみならず閾線量以下でも確率的影響(放射線誘発ガンや遺伝的影響など)が発生しうるということが認識された。しかしながら、その閾線量以下の放射線被曝と障害の発生する確率(リスク)との間にはどのような相関関係があるのか、リスクは具体的にどの程度なのか、などについてはまとまった疫学的データが存在しなかったため不明であった。 1945年の広島・長崎への原爆投下において日本の医療機関の他にアメリカは広島と長崎にABCC(後の放射線影響研究所)を設置し、原爆被爆生存者(atomic bomb survivors)の健康調査、寿命調査などの疫学的調査を行った。この調査によって多くの知見が得られ放射線障害の研究が進むこととなった。 この時期以降の放射線防護 疫学調査のデータの集積によりそれまで判明していた赤色骨髄以外の臓器における放射線誘発ガンの発生確率が明らかになった。ICRPの1977年勧告はこれを反映して、それまで主要な臓器に対してのみ定義されていた防護のための基準量に加えて、実効線量当量(現:実効線量)という被曝したすべての臓器の影響を考慮した量(個人の被曝によるリスク量)を定義することができるようになった。
※この「(3)リスクが問題とされるようになった時期」の解説は、「放射線障害」の解説の一部です。
「(3)リスクが問題とされるようになった時期」を含む「放射線障害」の記事については、「放射線障害」の概要を参照ください。
- リスクが問題とされるようになった時期のページへのリンク