ラリー・バードの指名とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ラリー・バードの指名の意味・解説 

ラリー・バードの指名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:14 UTC 版)

1978-1979シーズンのNBA」の記事における「ラリー・バードの指名」の解説

ドラフトではバハマ人のマイカル・トンプソンポートランド・トレイルブレイザーズから非アメリカ人としては初となる全体1位指名受けている。ほか、フィル・フォードマイケル・レイ・リチャードソンパービス・ショート、ロン・ブリュワー、フリーマン・ウィリアムス、レジー・スースマイク・ミッチェル、デイブ・コージン、モーリス・チークスらが指名受けている。 この年NBA史において極めて重要な指名がされるインディアナ州立大学所属ラリー・バードが、ボストン・セルティックスから全体6位指名受けたのである。ただし、当時大学3年生だったバード大学に残る意思示しており、本来ならドラフトにはエントリーできない選手のはずだった。しかし是が非でもバード欲したセルティックスは、業界随一敏腕GMであるレッド・アワーバック制度盲点突き止めたセルティックス活路バード学歴にあったバード最初インディアナ大学進学したがすぐに退学しその後ノースウッド大学という短期大学1年間在籍していたのである。そのため3年生バード大学4年通ったことになり、大学でのプレイ資格4年間を全うしたとして、指名漕ぎ付けたのであるバードはもう1年大学プレイするため、セルティックスへの入団は翌シーズン持ち越された。もっともこの1年空白NBAにとっては有利に働いたバード率いインディアナ州立大学はこのシーズンNCAAトーナメント決勝まで勝ち進み、ここでバード生涯ライバルマジック・ジョンソン率いミシガン州立大学と初対決するのである。この試合NCAA史上最高勝率収めるほどの高い注目集めたバードマジックという当時最高のカードを、NCAA決勝という最高の舞台で全米向けてアピールできた、NBAにとっては最高のプロモーションとなったのである。 ラリー・バードの指名はその後NBA人気復活試金石となった。翌シーズンにはマジック・ジョンソンロサンゼルス・レイカーズ入団するが、バードセルティックスに、ジョンソンレイカーズに、それぞれ東西代表する名門チーム入団したことも両者ライバル関係煽り当時人気低迷に喘いでいたリーグ全体大きく盛り上げ、やがて訪れNBA黄金期へと繋がっていく。全てアワーバックによるラリー・バード指名から始まったのである

※この「ラリー・バードの指名」の解説は、「1978-1979シーズンのNBA」の解説の一部です。
「ラリー・バードの指名」を含む「1978-1979シーズンのNBA」の記事については、「1978-1979シーズンのNBA」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ラリー・バードの指名」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ラリー・バードの指名」の関連用語

ラリー・バードの指名のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ラリー・バードの指名のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの1978-1979シーズンのNBA (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS