ラサ政府と国際連合・中華民国の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 06:32 UTC 版)
「中華人民共和国によるチベット併合」の記事における「ラサ政府と国際連合・中華民国の対応」の解説
同1950年11月7日、チベットのラサ政府は国際連合に対して中華人民共和国による侵略を訴えたが、国際連合は、国連軍を組織してまで関与していた朝鮮戦争への対応が精一杯で、チベットに介入する余裕は無かった。 なおチベットは、国際連合の常任理事国である中華民国が独立国として認めておらず、自国領土として扱っていたため、正式な独立国として扱われていない上、文書がチベット政府から直接でなくインドから発送されていたため、本物かどうか確認できなかったからでもあった。 この事態に対し、サラエヴォとエルサルバドルがチベット擁護を訴えたが効果は無かった。 また中華民国政府はあくまでもチベットを「自国領土」とする立場だったため、結果として、自らの敵国である中華人民共和国によるチベット併合を弁護する形になった。なお、国連総会運営委員会は「チベットと中国、インドに平和をもたらすためにも国連の場で討議することはふさわしくない」として、審議の延期を決めた。
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