ラグーザ玉
ラグーザ玉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/07 01:03 UTC 版)
ラグーザ・玉(ラグーザ・たま、1861年7月17日〈文久元年6月10日〉 - 1939年〈昭和14年〉4月6日)は、日本の女性画家。旧姓清原[1]、幼名多代[2]。ラグーザお玉とも表記される。また西洋名はエレオノーラ・ラグーザ(Eleonora Ragusa)[3]。夫は彫刻家のヴィンチェンツォ・ラグーザ[1]。なおイタリア語 Ragusa の発音は、シチリア地方では「ラグーサ」となり、本人もそう名乗っていたという。[4]
- ^ a b c d e 『日本の美術 女性画家の全貌。――疾走する美のアスリートたち』(2003年、美術年鑑社) p.121 ISBN 4-89210-156-7
- ^ a b c d e f g “物故者記事”. 東京文化財研究所. 2017年8月1日閲覧。(美術研究所編『日本美術年鑑 昭和15年版』美術研究所、1941年、p.119)
- ^ 木村毅(編)『ラグーザお玉自叙伝』(恒文社、1983年) p.112
- ^ 『明治の彫塑 ラグーザと荻原碌山』展カタログ 東京芸術大学大学美術館 2010年
- ^ 木村毅(編)『ラグーザお玉自叙伝』(恒文社、1983年) p.17
- ^ a b c 『朝日新聞の記事にみる恋愛と結婚』朝日新聞社、1997, p128-130
- ^ a b 児島薫「畑正吉と清原玉、エリザベス・キースの交友を物語る作品について」 実践女子学園香雪記念資料館館報13号 2016年
- ^ 日伊親善に尽くした洋画家死去『東京日日新聞』(昭和14年4月6日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p773 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 木村毅(編)『ラグーザお玉自叙伝』(恒文社、1983年) p.18
- ^ 木村毅(編)『ラグーザお玉自叙伝』(恒文社、1983年) p.20-22
- ^ 木村毅(編)『ラグーザお玉自叙伝』(恒文社、1983年) p.25
- ^ 木村毅(編)『ラグーザお玉自叙伝』(恒文社、1983年) p.30
- 1 ラグーザ玉とは
- 2 ラグーザ玉の概要
- 3 参考文献
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