ラグビー協会との軋轢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:04 UTC 版)
宿沢は、メガバンクの常務執行役員という立場・肩書きが各方面に有利に作用した事もあって、多くのメディア・講演会に登場していた。Jリーグチェアマンの川淵三郎と雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で対談した際にラグビー協会への批判とも取る事のできる発言を行った事で、快く思わない古参幹部との軋轢が生じ始めたとされている。実際に「宿沢は頭も下げず、生意気だ」と語った幹部がおり、これは当時の協会専務理事であった真下昇の言であるといわれるが、事実かどうか定かでない。また、宿沢が尊敬していたラグビー協会副会長・町井徹郎(東大ラグビー部、東芝副社長)が2004年に急逝し、後任に元首相の森喜朗が就任してから、協会による宿沢への冷遇が始まったとも言われる。 ラグビー協会内での討議決定事項が記者会見ではすり替わっており、宿沢が「最高意思決定機関が機能していない。組織としてありえない。信じられない」と怒りをあらわにしていたという。(退任後、後任の勝田隆は宿沢色を一掃し、ユース強化担当の上田昭夫も解任された)。 東京中日スポーツ記者の大友信彦は「不祥事に誰も責任を取らず、重要なポストに特定の人脈(引用者注・大学名)が重用されるご都合主義がある」と厳しく批判した。大友に限らず、永田洋光(フリー)、大野晃(元毎日新聞)、中尾亘孝(フリー)など、ラグビーに深く関わっている取材記者は押しなべて、ラグビー協会の姿勢に否定的である。特に、中尾は自著「日本ラグビー改造計画」で協会を手厳しく批判している。
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