ライン炻器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 06:49 UTC 版)
ドイツ、ライン河畔のラインラント諸都市で作られた、青備前と同様塩(岩塩)によって施釉する炻器。ローマ帝国の陶器技術が伝えられ残存、発展したものとされる。7世紀頃から発展が始まり、9世紀頃には次第に高温焼成ができるようになり、焼き締めの炻器となっていった。10世紀頃にはピングスドルフ、バドルフなどで生産され輸出もされるようになった。食塩釉が施されるようになるのは14世紀頃からである。ジークブルクで作られ始めたものは、16世紀には非常に白くて硬質の炻器に改良された。一方ケルンで茶褐色を呈する炻器が15世紀に生まれた。製品は髭面の男の顔の浮き彫りが施された壷や水差し、マグなどが主で、これは16世紀にケルンの隣のフレッヒェンに生産が移り、さらに17世紀にはライン川上流のヴェスターヴァルトに中心が移り、彩色を施した塩釉炻器が作られるようになった。これらを総称してライン炻器と呼ぶ。17世紀後半にはジョン・ドワイトによりイギリスでも作られるようになる。
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