ヨネクラジム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 02:47 UTC 版)
1963年、ヨネクラボクシングジムを開設。柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の5人の世界王者、30人以上の日本王者・東洋太平洋王者を育てる。 1986年から1989年まで全日本ボクシング協会の会長を務める。身長の低い選手はファイターに、長身の選手はアウトボクサーになるよう指導する等というのが、現代ボクシングの指導方針であるが、米倉会長はその選手の性格に合ったボクシングスタイルを見つけ、育てることを信条としている。 1995年3月29日、スポーツ功労賞を授与される。 70代後半を迎えた現在もなお指導に熱を入れている。 2008年6月24日、日本ボクシングコミッションは、公務執行妨害事件により有罪判決を受けたヨネクラジム所属の保住直孝、矢島拓也を無期限資格停止処分とし、米倉を厳重注意処分としたが、米倉は両選手を解雇する意思はないことを表明した。 2017年4月27日、自身の高齢と体調の悪化などを理由として8月一杯を以てヨネクラジムを閉鎖して第一線から退くことを発表した。
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