中島俊一 (ボクサー)とは? わかりやすく解説

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中島俊一 (ボクサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 19:30 UTC 版)

中島 俊一
基本情報
本名 中島 俊一
階級 スーパーフライ級
国籍 日本
誕生日 (1961-03-02) 1961年3月2日(62歳)
出身地 茨城県日立市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 30
勝ち 23
KO勝ち 13
敗け 7
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中島 俊一(なかじま しゅんいち、1961年3月2日 - )は、日本の元プロボクサー。第12代日本スーパーフライ級王者。茨城県日立市出身。日立第一高校明治大学卒業。現在はBoy's水戸ボクシングジム会長を務める。

来歴

明治大学でボクシング部に入部し、ボクシングを始め、卒業後、ヨネクラジムに入門。

1984年6月12日、プロデビュー(3回TKO)勝ち[1]

1985年9月24日、7戦目で日本王座初挑戦。空位の日本スーパーフライ級王座を丸尾忠と争うも、10回判定負け(プロ初黒星)。

1987年8月29日、OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座挑戦。王者・鄭炳寛(韓国)に挑むも、12回判定負け。

1988年3月1日、2度目の日本王座挑戦。西川浩二と空位の日本スーパーフライ級王座を争い、10回判定勝ち。王座獲得に成功。その後、6度の防衛に成功し、世界ランキングもWBA2位にまで上昇。

1990年6月30日、日本王座在位のまま世界初挑戦。敵地でWBA世界スーパーフライ級王者カオサイ・ギャラクシータイ)に挑んだが、8回TKOで敗れ王座奪取ならず。

1990年10月15日、再起戦となった日本王座7度目の防衛戦で当時20歳の新鋭・鬼塚勝也(当時、WBA世界スーパーフライ級8位)と対戦し、最終10回TKO負け。王座を手放した。

1991年3月18日、雪辱・王座返り咲きを懸け、鬼塚と再戦するも10回判定負け。王座返り咲きを果たせず、この試合を最後に引退した。

引退後はヨネクラジムトレーナーおよび会社経営を経て、現在は茨城県水戸市にBoy's水戸ボクシングジムをオープンさせ、会長として後進の指導に力を入れている。

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

空位
前タイトル保持者
内田好之
第12代日本スーパーフライ級王者

1988年3月1日 - 1990年10月15日

次王者
鬼塚勝也



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