ヨスン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 00:35 UTC 版)
また、ヤサに関わる重要な用語として、ヨスン (yosun) という単語がある。ヨスンは「道理」或いは「原理」「原則」といった意味を持ち、「破れば罰則を受ける」という抽象的な意味を持つヤサと密接な関係を持つ用語であった。 『集史』などのペルシア語史料では「ヤサ・ヨスン (yāsā wa yūsūn)」という表現がしばしば現れ、またヤサ及びヨスンは「慣習 (rasm/ʿdāt/ādāb)」と併記されることも多いため、従来はヤサとヨスンを別々の意味と考え、「法令と慣習[法]」と訳すのが一般的であった。しかし、『モンゴル秘史』などに見られる「ヨスン」の本来的な意義は「道理、物事の経緯」であり、「ヨスン=慣習[法]」という解釈はジュヴァイニーらムスリム史家による独自の表現ではないかと推測されている。すなわち、イスラーム法には「スンナ」と呼ばれるムハンマドの言行録があり、これをムスリムは「慣習法」と呼称している。ジュヴァイニーらムスリム史家がイスラーム法を前提としてモンゴルの法体系を見た時、「ヤサ・ヨスン」が「スンナ」と同質のものと見なされ、「慣習」と称されたのだと考えられる。 また、『モンゴル秘史』には即位直後のチンギス・カンがシギ・クトクに命じて「ココ・デプテル (köke debter) =青冊」という書物を作らせ、そこにノヤン(貴族層)への分民とジャルグ(審理)の結果を書き込ませ、「ヨス[ン](規定)にした」と記されている。「ノヤンへの分民」と「ジャルグの審理」は「他の者が変更してはならない」という点で共通しており、また同時に「これに叛する者には罰則を与える」という点でこの「ヨスン」は「ヤサ(逆らえば罰せられるもの)」としての性格を有していた。そのため、チョクトはこの「青冊」に書かれた「ヤサとしての性格を持つヨスン」こそがモンゴル帝国の「法律」として機能していたのではないかと推測している。モンゴル帝国が変容した大元ウルスでは「律例」のような整然とした法体系が制定されず、判例集である『通制条格』や『元典章』が編纂されるのみであったが、これもジャルグ(審理)を集成した「青冊」の運用の影響を受けたためではないかと考えられている。
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