ユーラ・ブルグント王国とは? わかりやすく解説

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ユーラブルグント王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/10 14:08 UTC 版)

ユーラブルグント王国
888年 - 933年[1]

900年頃のブルグント王国。黄色の部分がユーラブルグント王国。
首都 不明
888年 - 912年 ルドルフ1世(初代)
912年 - 933年 ルドルフ2世(キスユラ・ブルグント王国を併合)
変遷
成立 888年
キスユラ・ブルグント王国を併合 933年

ユーラブルグント王国は、旧ブルグント王国のあった地域のユラ山脈以北に存在した王国上ブルグント王国高ブルグント王国トランスユラニア王国(Transjuranien)とも呼ぶ。現在のスイス中西部にフランスのブルゴーニュ地方東部を含めた地域にあたる。

この地はカロリング朝フランク王国の分裂後、中部フランク王国、さらにロタリンギアの一部であった。ロタリンギア王ロタール2世は、在地貴族の統制のためヴェルフ家のオセール伯コンラート2世を招き、コンラートはこの地で権力を確立した。ロタール2世の死後はメルセン条約により東フランク王国領となったが、その後リブモント条約で分離した。

フランク王国を一時統一したカール3世888年に死去し、コンラート2世の息子ルドルフ1世 が上ブルグントを継承してブルグント王位につき成立した。933年ルドルフ2世ウーゴキスユラブルグント王国を併合し、それ以降は単にブルグント王国と呼び、またそのときアルル首都としたためアルル王国とも呼ぶ。

王国成立後もジュネーヴ伯やサヴォイア家などの在地貴族の勢力が依然として強く、国王ルドルフ3世は司教に支配権を与え、支配強化をはかった。これが、のちの聖界諸侯領形成につながっていった。1032年、ヴェルフ家の最後の男系の王ルドルフ3世が死去し、ルドルフ3世の姪と結婚したローマ皇帝コンラート2世がブルグント王となり、ブルグント王国は神聖ローマ帝国に併合された。

関連項目

脚注

  1. ^ 表記はキスユラブルグント王国併合年。1032年、ブルグント王家は断絶し、それ以降ブルグント王位は神聖ローマ皇帝に引き継がれた。

参考文献

  • 森田安一 編『新版世界各国史 スイス・ベネルクス史』山川出版社、1998年、p.24-25

ユーラブルグント王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 08:10 UTC 版)

ブルグント王の一覧」の記事における「ユーラブルグント王国」の解説

「ユーラブルグント王国」を参照 884年カール3世は全フランク相続によって統一した。しかし888年カール3世が死ぬとフランク王国再び分裂し、ブルグント南北分かれたブルグント北部(ユーラブルグント)の貴族及び聖職者達は聖マルタンのもとに集まり古ヴェルフ家出身オセールルドルフ1世ブルグント王推戴した。このブルグント王位はロタリンギア王位から分離されており、ロタリンギア王位は東フランクアルヌルフ得たルドルフ1世最初ロタリンギア再統一ようとしたが、アルヌルフ抵抗阻まれたため、上ブルグント経営専念した933年ルドルフ2世イタリア王位対す自分請求権イタリア王国のユーグ・ダルルに譲渡する一方でブルグント南部を含むプロヴァンス併合しブルグント再統一された。 ルドルフ1世888年 - 912年ルドルフ2世912年 - 937年) - 933年に下ブルグントキスユラブルグント王国プロヴァンス王国)を併合 コンラート937年 - 993年ルドルフ3世993年 - 1032年1032年ブルグント王国神聖ローマ帝国併合されブルグント王位もローマ王位に統合された。

※この「ユーラブルグント王国」の解説は、「ブルグント王の一覧」の解説の一部です。
「ユーラブルグント王国」を含む「ブルグント王の一覧」の記事については、「ブルグント王の一覧」の概要を参照ください。

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