メキシコへの復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 19:30 UTC 版)
メンデスは1848年4月にバルバチャノに政権を返還した。バルバチャノの最初の仕事は、戦争のため首都をケレタロに移していたメキシコ政府に対してカスタ戦争への経済的・軍事的支援を求めることだった。メキシコ大統領ホセ・ホアキン・デ・エレーラ(英語版)はこれを歓迎した。同年7月14日、米墨戦争でアメリカ側が得た領地と引き換えに支払った300万ペソのうちから15万ペソをユカタンに与えた。8月にカスタ戦争は鎮圧され、8月17日にバルバチャノはメキシコ連邦への復帰と1825年のユカタン州憲法の復活を命じた。 カスタ戦争がもたらしたもう一つの結果は、メキシコとグアテマラの国境関係に変化をもたらしたことだった。1823年以来、グアテマラで面積最大の県であるペテン県はユカタンへの編入を計画した。しかしながらカスタ戦争の悪化とマヤ人のいくつかの勝利にともなって計画は何度も延期され、最終的に1856年に放棄された。
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