メキシコとの関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:56 UTC 版)
内藤はロス・インゴベルナブレスを日本に持ち帰り、制御不能と化したのキッカケにブレイクした自身のプロレス人生において、メキシコという国は欠かせないものとなっている。2009年5月に初めてメキシコに遠征した内藤は、元々異国の地がさほど好きではない上にイメージ的にも最悪な印象しか持たなかったことから、当初は「行くのが嫌でしょうがなかった」と振り返っており、試合と練習以外のときはほとんど出歩くことをしなかったという。しばらくして内藤はアニマル浜口ジム時代から付き合いのあるBUSHIとメキシコで再会すると、BUSHIに連れられる形で外出するようになる。そこから徐々にメキシコに対する意識が変わり始め、メキシコでの生活を楽しめるようになったとのこと。 現地CMLLにおいても、内藤はアレナ・メヒコ大会のビッグマッチにおける髪切りマッチで、メキシコ人レスラーから勝利するという30年ぶりの快挙を成し遂げたことからポジションを確立している。街を出歩けば声を掛けられることも多くなり、一気に知名度を上げることに成功した内藤は、公私ともに充実した日々を送るようになった。 制御不能と化した後、スペイン語を織り交ぜた独特なコメントが目立つ内藤であるが、これは内藤が2015年にインゴベルナブレスに加入し、帰国したときのコメントでポロっとスペイン語を出したことがキッカケとなっている。直すのが面倒くさいと考えた内藤は以降スペイン語を混ぜてコメントするようになり、後に「日本に居るのに間違ってスペイン語が出てしまうぐらい充実してた」と内藤は述べている。
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