メイン湾の歴史と政治的重要性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 02:05 UTC 版)
「メイン湾」の記事における「メイン湾の歴史と政治的重要性」の解説
メイン湾は相対的にヨーロッパに近い位置にあるので、ヨーロッパ諸国による初期植民地化の対象になった。フランスは1604年にセントクロイ島に開拓地を造ったが、病気、恐らくは壊血病のためにも失敗した。イングランドは1607年にケネベック川の島にポパム植民地を造ったが、1年後には放棄された。これは現在のバージニア州ジェームズタウンに植民地が造られたのと同じ年だった。続いて1620年にマサチューセッツ湾沿いにプリマス植民地が建設された。 アメリカ独立戦争や米英戦争では、イギリス軍がメイン湾の一角を占領し、ニューアイルランド植民地を建設しようとした。2回とも戦争を終結させる条約で、アメリカ合衆国に戻された。 1960年代と1970年代、カナダとアメリカ合衆国の間で、メイン湾特にジョージズ堆での漁業権など資源に対する権利を巡って論争があった。この論争は国際司法裁判所に持ち込まれ、1984年にメイン湾の海上境界線が定められた。カナダとアメリカ合衆国は現在でも、メイン湾北東部にあるマチャイアスシール島とその周辺海域について、その主権にかんする合意ができていない。メイン湾の海洋生物生息域である重要性は両国とも認識し、湾の南部にあるジョージズ堆でのオフショア石油とガスの開発に対する制限を維持している。
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