メアリー・クロフォード・フレイザー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 12:08 UTC 版)
「ヒュー・フレイザー (外交官)」の記事における「メアリー・クロフォード・フレイザー」の解説
妻のメアリー(Mary Crawford Fraser,1851−1922)は、アメリカ人彫刻家のトーマス・クロフォードと、名家ウォード一族サミュエル・ウォード(Samuel Ward)の娘ルイーザとの間に生まれる。ルイーザの姉に政治活動家のジュリア・ウォード・ハウがいる。幼少期を過ごしたローマで、デンマークの童話作家アンデルセンやヴィクトリア期詩人のブラウニング夫人と交流を持った。その後、母親の再婚で渡英し、スイスで2年過ごした後にローマに戻り、ローマ英国公使館の二等書記官だったヒュー・フレイザーと結婚。夫の赴任に伴って中国、ウィーン、ローマ、チリを経て来日し、5年間滞在した。この間、のちに尾崎行雄の妻となる英子セオドラ尾崎がメアリーの個人秘書を務めた。またのちに著名な美容家となるマリールイズは、1892年にメアリーとともに渡仏している。 夫の死後は英子とともにイタリアに戻り著述活動を行った。日本に関する著作も2冊あり、自分の本当の故郷は日本と南イタリアであると述べている。1899年に出した"A diplomat's wife in Japan : letters from home to home"は、改訂され1982年にニューヨークのウェザーヒル社から出版された。邦訳版は『英国公使夫人の見た明治日本』(横山俊夫訳、淡交社、1988年)。
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