ミラーの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 21:28 UTC 版)
「インディアナ・ペイサーズ」の記事における「ミラーの時代」の解説
ペイサーズは80年代後半に後の時代の核となる選手を獲得した。1986年にドラフト4位で指名したチャック・パーソンはそのシーズン新人王になり、トレードされるまでの3年間チームを引っ張った。翌年11位で指名されたレジー・ミラーはのちにペイサーズ史上最も著名な選手となり、1988年にはオランダ人センターリック・スミッツを獲得した。 1990年代前半までチームは勝率5割程度まで持ち直したが、東地区有数の強豪になるのは1993年に名将ラリー・ブラウンをヘッドコーチに迎えて以降だった。ペイサーズは勝ち数50程度にまで成長したが、プレイオフではより印象的な活躍を見せた。東地区のライバルだったニューヨーク・ニックスとの対決や、レジー・ミラーが見せた数々の逆転劇は注目を集めた。しかしチームはNBAファイナルに進むことはできず、1996-97シーズンには主力の怪我のため成績が低迷し、シーズンが終わるとラリー・ブラウンは辞任した。 ブラウンの後を継いだのはかつて選手として名を馳せたラリー・バードだった。バードがヘッドコーチに就いた最初のシーズン、ペイサーズはチーム史上最多の58勝をあげた。このシーズンのプレイオフではシカゴ・ブルズを追い詰めたが一歩及ばず敗退。翌シーズンも地区決勝でニューヨーク・ニックスに敗れた。続く1999-2000シーズンにはついにNBAファイナルに進出するが、ロサンゼルス・レイカーズに2勝4敗で敗退した。バードはこのシーズンを最後に辞任した。 次にペイサーズのヘッドコーチに就任したのはアイザイア・トーマスだった。リック・スミッツの引退や、ジャーメイン・オニール獲得のためデイル・デイヴィスを放出するなど以降3シーズンは再建の時期に入った。勝率は5割程度、プレーオフでは1回戦での敗退が続き、トーマス3年目にゼネラルマネージャーに就任したラリー・バードは、現役時代から因縁があったトーマスを解任。代わってリック・カーライルをヘッドコーチに据えた。
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